駄犬の株ログ

「株価は、恒久的に高い高原のようなものに到達した」(アーヴィング=フィッシャー, 1929年)

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「株価は、恒久的に高い高原のようなものに到達した」(アーヴィング=フィッシャー, 1929年)

[投資本] バフェット 伝説の投資教室 (ジェレミー・ミラー)

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ウォーレン・バフェットが過去に書いた投資家へのレターを編集した本。バフェットは1956年に自身のファンドを立ち上げ、年に2回のペースで出資者に運用状況を報告するレターを書いていました。それらのレターから著者がテーマごとに抜粋し、解説を付けるという構成になっています。同じような本として『バフェットからの手紙』がありますが、『バフェットからの手紙』はバークシャー・ハサウェイの年次報告書を編集したもので、本書はそれよりも時期的に前ということになります。

内容はファンドの投資内容が2/3、ファンドの運営方針が1/3というところ。後者は今となってはあまり読む意味がないように思われますが、前者はバフェットの投資哲学がうかがえて参考になります。ただ具体性に乏しい箇所が多く、「指数に勝つことが大事」「複利効果を味方にしよう」のような一般論に終始する章もあります。バフェットの書く文章は得てして修辞的で難解なのですが、著者がうまく解説をつけていて読みやすい本になっています。

興味深く思ったのは、ファンドの運用規模が大きくなったことによる投資手法の変化です。バフェットのファンドは10万ドルほどで設立され、その後の好調な運用成績で7年後には700万ドルを超えるまでになりました。

私のシケモク戦略は、少額を運用している間は非常に上手くいきました。実際、1950年代に無料の煙を得る機会が幾度となくあったおかげで、その後の10年は相対ベースでも絶対値ベースでも人生最高の成果を上げることが出来ました。 ところが、この戦略に大きな欠点があることが次第に明らかになってきました。シケモク投資はある程度までしか対応できなかったのです。投資金額が大きくなると、まるで上手くいきませんでした。

シケモクとは財務面で割安な銘柄、いわゆるネットネット株のことです。ファンド設立から間もない時期のバフェットは師匠のベンジャミン・グレアムの影響からもっぱらシケモク投資をやっていましたが、60年代中盤になると相場の好調さもあって割安な銘柄が少なくなり、優良企業に集中的に投資するスタイルに変わっていきます。また、TOB裁定取引や今日でいうアクティビストのようなこともやるようになります。

運用規模の変化で試行錯誤する様子は本書のあちこちから伺え、60年代になるとそれまでのような高いパフォーマンスを上げ続けるのは難しいということをレターの中で述べるようになり、1967年にはファンドの公式な期待利回りを下げることになります。著者は1章を割いてこの問題を扱っています。

バフェットは1956年の設立から1970年に身を引くまでファンドの運用を手がけましたが、15年もあると相場の状況もさまざまです。バフェットのファンドは全ての年で指数をアウトパフォームしましたが、それでも上げ相場ではグロース投資のファンドにパフォーマンスが劣後する年が続くことがありました(これは2000年前後のITバブルでも見られた)。バフェットはバブルな時期には「一般市場の水準は、内在価値を上回る値付けになっていると私は見ています」と出資者に説明し、相場が下げに転じるとパフォーマンスがぼろぼろになったグロースファンドを軽く揶揄したりします。

本書で書かれているバフェットの投資方法は、全体的に今の個人投資家がそのまま真似できるものではないですが、読んでいくとあちこちにヒントがある本と思います。