駄犬の株ログ

「株価は、恒久的に高い高原のようなものに到達した」(アーヴィング=フィッシャー, 1929年)

駄犬の株ログ

「株価は、恒久的に高い高原のようなものに到達した」(アーヴィング=フィッシャー, 1929年)

[投資本] 株で億越えした話~億を稼いだ個人投資家のリアル~

本書、もとい本アプリは、2012年に5人の個人投資家を集めて開催された座談会の内容をまとめたiPhoneアプリです。無料で利用可能で、電子書籍のようにコンテンツを閲覧できます。

(注意:リリースが古いため最新のiOSではインストール不可になっています。インストールにはおそらく10.x以前のiOSが必要です。自分はiOS 10.3.3のiPhone5をわざわざ秋葉原の中古スマホ屋で買ってきて読みました)

参加した個人投資家は温泉三昧、五月、ゾーマ、ぱりてきさす、山田(敬称略、以下同)。いずれも億トレで、とくに五月は本名の片山晃としても知られています。最近日経の記事にもなりました。

www.nikkei.com

内容としては、2000年ごろから座談会の開催された2012年までの日本株の相場について、時系列で振り返っていくというもの。とりとめのない雑談という感じで、読みやすい反面まとまりはないかもしれません。参加者はそれぞれのやり方で相場を生き残ってきた方々で、その時々でどのように相場と向き合ってきたかが語られます。

10年超という長めのタイムスパンだと、相場の状況も次々と変わります。特に2000年代は新興バブルからのライブドアショック、その後のリーマンショックと変化の大きな時期でした。それまで通用した方法がダメになったときに、試行錯誤して状況に適応する過程の連続で、1つの方法だけずっとやって勝ってきたという人は参加者に1人もいません。マーケットが常に変化するということ、適応しないと勝ち続けることはできないということを実感できたのが自分にとって収穫でした。

特に2010年のアローヘッド導入の影響が大きく、それまでデイトレスキャルピングでやっていたのが勝てなくなって、ファンダを分析して長期でポジションを取る方向に切り替えていったようです。

以下は内容の抜粋です。トレード手法について具体的に述べた箇所のみ引用してます。

2000年ごろ

テレホーダイ時代。株価チェックするにもコストがかかった。ネット証券はやっと出てきた頃でまだ怪しいと思われていた。単元がほぼ1000株だったので小さな資金で株をやることは今よりも難しかった。

2002年ごろ

9.11の暴落、マイカル破綻、りそな救済。木村剛の30社リスト。ネット証券が伸びてきて、BNFやcisも登場してインターネットに個人投資家のコミュニティが形成されてきた。ヤフー掲示板が盛り上がってた。

現在に比べると個人投資家の資金が乏しく、外国人投資家の存在感も小さく、国内の機関投資家がコントロールするマーケットだった。

低位株の、たとえば10円から20円の株を取引するんです。
当時は出合注文といった制度がなくて、日計りの注文しか受け付けてなかった。その注文なんだけど、寄り前に注文をした人は同等の順位で約定していくというルールだったはずなんだけど、よくよくやってみると早く注文をすればするほど、優先的に約定されるっていうことを突き止めた。 それで、夕方5時に翌日の注文を受け付けるシステムだったので、5時に大量に注文をするシステムを作りあげて、10円の株価があったとしたら10円に売り注文、9円に買い注文を誰よりも早く出すと。 (ゾーマ)

 

下落乖離率の落ち着いたところで買って、中間値くらいまで戻ったらで売るみたいな一応業績も調べて、ちゃんとしている会社がすごい下がっているときに買うっていうのをその後2~3年やってた。
その時は会社員だったので、ずっと場を見てることはできなかった。だから1~2週間くらい持ってて売るみたいなことをしていた。 (山田)

2004年ごろ

新興株バブル。マザーズ指数が2003年から2005年にかけて約2.5倍になった。マザーズジャスダックで割安で放置されていた銘柄がこぞって上がった。バブルに乗れないと儲からなかった。大型の手堅い銘柄をやる人はパフォーマンスが出なかった。

五月が阪神電気鉄道空売りで資産の90%を失い、600万が60万くらいになった。(その後復活)

当時、今となっては単純なアルゴリズムだったんだけど、B・N・Fが持ち越しで当たりまくってたのを見て、なぜかを考えた。
それはやっぱり法則があって、当日の安値がその前々日の終値を下回らない銘柄というのは9割方ギャップアップしてたから、終値で買って始値で売って儲かってた。
なんでそうなってたのかわからなかったんだけど、とあるアルゴリズムセミナーで聞いた話だと、外資系がそれに沿ったアルゴで取引をしてそうという事だった。(ゾーマ)

2006年ごろ

小泉政権ジェイコム誤発注、ヘラクレスの闇鍋。

ライブドアショックで新興株が崩壊、マザーズ指数はピークの2800から2年で600まで下げた。ハイボラティリティで暴落したりリバったりする相場になった。一方的に下げるわけではなく、リバウンドする日の1日だけ見たらバブルの値動きだった。指数的には厳しいけど流動性はあったからデイトレはできた。

2008年ごろ

リーマンショック。ベアスターンズの救済などがあった後、2007年10月から本格的な暴落になった。

リーマンショック前から新興の流動性が下がって、参加者は他の手法を試していた。中国株(山田)、オプション(ゾーマ)、資源国通貨(温泉)など。

日本製鋼所とかニコンとか、株価が高くてバリュエーションの高い銘柄でショートのスキャルピングだけずっとやってました。 (by 五月)

2010年ごろ

ギリシャ問題、FRBの金融緩和、アローヘッド。

2010年からアローヘッド導入。「あれ見たときこれじゃ勝てんって思った」(by 山田)、「光の速さで動いてた」 (by ぱりてきさす)

最初はアルゴもぬるかったから勝てたが、ゴールデンウィーク明けたあたりから本気アルゴが出てきて、板読みとかスキャルピングでやっていた人たちが勝てなくなった。

一番最初は東証二部とかジャスダックのほんとにしょぼい株。 PBR0.3くらいのやつを、過去の月足の高値と安値の差みたいなので (五月)

 

その辺りから俺もショットガンスイングやりだして。 俺は五月ちゃんみたいに個別銘柄をじっくり調べるとかじゃなくて、地合に応じて「今この状況だったらどういう系統のものが上がるか?下がるか?」みたいな予想をしてって、このセクター上がりそうだなと思ったら、そのセクターの良さげなとこをバーっと買っていくみたいなのを始めてて。(ぱりてきさす)

2012年ごろ

東日本大震災。五月が資産半減、ゾーマは資産1/3になった。

ヤフー掲示板の煽り屋が猛威を振るう。K氏銘柄、ジョウダン銘柄など。