クオンツファンド「メダリオン」の卓越したパフォーマンスで知られるルネサンステクノロジーズを扱ったノンフィクション。シモンズの生い立ちからはじまり、ファンドの設立から2018年頃の状況までが描かれます。あくまでルネサンステクノロジーズの歴史を描いた本で、残念ながらメダリオンのトレード戦略について書かれた箇所は少なく、内容も断片的です。
メダリオンの成功を成し遂げるまでに何度も失敗をしており、それを乗り越える過程で投資戦略も変化してきています。最初から機械学習のアプローチでやっていたわけでもないし、株を対象にしていたわけでもなかったんですね。自分はメダリオンのイメージしかなかったので、このあたり新鮮に感じました。おおまかに以下のような変遷があったようです。
最初期
- シモンズが1978年にヘッジファンド「リムロイ(後のルネサンステクノロジーズ)」を設立
- リムロイは数学を用いた分析的な投資をするとうたっており、シモンズらは線形代数による先物価格予測システム「ピギーバスケット」を実装したが、このシステムはうまく機能しなかった
- 結局はパートナーの1人であるレニー・バウムが裁量トレードをやるようになり、1984年に国債のトレードで巨大な損失を出した
先物トレンドフォロー
- バウムはファンドを去り、替わってジェームズ・アックスが投資戦略を主導するようになる
- 1985年にアックスがマルコフ連鎖を用いた新たなシステムを開発。このシステムは先物のトレンドフォロー戦略をメインとしたものであったようである
- 1987年にはルネ・カルモナがシステムに機械学習(カーネル法)の手法を取り入れる。ただしこの時点ではシモンズが説明可能性について疑問を持ち、あまり積極的に活用されなかった
先物スタットアーブ
- 1988年頃からシモンズとアックスの関係が悪化。1989年にアックスはファンドを去り、替わってエルウィン・バーレカンプが投資戦略を主導するようになる
- バーレカンプはアノマリーなどの統計的根拠に基づく先物の短期ポジションを、ショートも含めて大量に取るというスタットアーブに近い戦略のシステムを作る
- このシステムは1990年に+55.9%のリターンを上げるが、なまじ上手くいったためにシモンズの現場介入が激しくなり(自身の相場観でゴールドを買えとしつこく言ったらしい。それでは裁量トレードである)バーレカンプと関係が悪化し、バーレカンプはファンドを去る
株式スタットアーブ
- シモンズはバーレカンプのシステムを発展させ、株式など他のアセットクラスも扱えるより包括的なものにしたいと考えた。そのためにヘンリー・ラウファーをスカウトし、ラウファーが投資戦略を主導するようになる
- ラウファーは機械学習の本格的な導入、単一のモデルの採用(アセットクラスや市場環境ごとに異なるモデルを作るのではなく、たった1つのモデルですべて扱うこと)、価格データの細分化(12時間足から5分足への変更)といった重要な仕事をした
- 1993年からはピーター・ブラウンらIBMの音声認識研究者たちを盛んに引き抜くようになり、彼らがやがてファンドの主要ポジションを占めるようになる。ランダム性の高い時系列データからシグナルを抽出するという点で類似性があったのと、実装能力の高さが活躍に繋がった
- その後ファンドは規模を拡大し200名を超える陣容になるが、バーレカンプ、ラウファー、ブラウンが基礎を作ったスタットアーブシステムを改良し続けて現在に至る
秘密主義とメダリオンのパフォーマンスから、他のクオンツファンドに対して圧倒的な優位性を持つイメージがありましたが、意外とそうでもないようです。ファンド初期の失敗はさておくとしても、1990年頃の描写ではDEショー(クオンツファンドの1つ)にシステムでも人材でも劣後しているように書かれています。メダリオンは2007年のクオンツショックを無傷で乗り切ったことで名声を高めましたが、そのとき「ポジションの約1/4はライバルたちと共通」しており、急速に損失が膨らむ中、シモンズの決断でポジションをクローズしたことにより難を逃れたとのこと(システムに従わなかったことで部下に責められたそうです)。総じて見るとそのときどきで他のクオンツファンドと同じようなことをやっていて、マーケットデータの品質やオルタナティブデータのボリューム、精緻なリスク管理といったディテイルで差を付けて近年のパフォーマンスを達成しているような印象を受けました。