駄犬の株ログ

「株価は、恒久的に高い高原のようなものに到達した」(アーヴィング=フィッシャー, 1929年)

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「株価は、恒久的に高い高原のようなものに到達した」(アーヴィング=フィッシャー, 1929年)

[投資本] 欲望と幻想の市場 (エドウィン・ルフェーブル)

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バモアへのインタビューを元にして書かれた小説。主人公(リバモア)は華のあるギャンブラーで、小説として面白く読めました。ただ自分が短期のトレーダーでないためでしょうが、投資の本としてはこれといって感銘を受けませんでした。

若きリバモアは取引所の仕事をしながらテープリーディングの能力を高め、合百(株価の短期的な値動きに賭けるギャンブルを提供する業者。実際の株は取引しない。ノミ屋みたいなもの)で賭けをして大いに勝ちます。この時期にやっていたことは今でいうと板読みのスキャルピングに近く、ティッカーテープの出力をパターン認識してごく短期の値動きを予想していたようです。取引の回数も相応に多かったでしょうし、合百の業者をいくつも出禁になっており、この頃のリバモアは期待値のあるトレード(というかギャンブル)をして、勝つべくして勝っていたように思われます。

やがて資金の額が大きくなると、取引所で実際の株をトレードするようになり、ポジションの保有期間も長くなっていきます。トレンドフォロー戦略で、しかもピラミッディングで積み増していくので勝つときは大きく勝つけど、負けるときはボロ負けします。相場の有名人で周囲の人から愛されており、手ひどくやられても資金の出し手が現れて相場に復帰するというのを繰り返しています。この頃になると、需給の読みに優れた洞察力があるのは確かな気がしつつも、本当にエッジのあるトレードをしているのかどうか読んでいてよくわからなくなります。

本書の後半では相場操縦がテーマとなり、情報の広がりをどうコントロールするか、他の相場操縦者とどう駆け引きするかといったことが語られます。

舞台が100年前のマーケットであり、当時ならではの手法が描かれています。たとえば第4章ではリバモアが合百であらかじめポジションを持っておいて、取引所でその株を取引して有利なほうに株価を動かすシーンが出てきます。また、合百の業者も同じようなことをしていて、客のポジションが特定の株で大きく片寄ったときに、取引所に注文を出して株価を逆の方向に動かすことで客を飛ばしていたそうです。このあたりとても面白く読みました。相場操縦のくだりにしても、参加者の層も薄くて多様性もなくて、コントロールの利きやすい環境だった当時のマーケットだからこそ機能していた方法のように思われました。

小説の書きっぷりなのかもしれませんが、本書のリバモアは自信に満ちあふれており、相場のことを予言者のように語ります。自身のアイディアに賭けて大きなリスクを取る豪胆さが印象に残りました。